人間とは何か
そして天はついに素晴らしいアイデアを思いつきました(笑)。
自分の分身となる生物を宇宙の中に創れば、宇宙の中からも眺めた認識も得ることができてきっと面白いに違いないと考えたのです。
天自身だけが自分の中の宇宙を眺めていても自分の認識一つだけしかないので、自分の分身となる生物を宇宙の中ににたくさん創れば、その生物が自分の代わりに宇宙の中から眺めた認識がたくさんできて、もっと面白いだろうとも考えました。
最初はいくつかの動物を自分の分身として地球上に創ってみましたが、ただその動物の周囲の認識が得られるだけでしたので、また直ぐに飽きてしまい、もっと豊かな表現の認識が欲しくなりました。
それで天と同じ言葉や意識も与えて、その生物個々の認識を自らが言葉で表現して意識できるようして、人間と言う生物を創ってみました。
ただ、天と同じ言葉と意識を与えるにはさらに特別な「愛」が必要だったので、それを「命」ではなく「魂」と言いました。
「愛」は人間に注入されると「命」が「魂」という人間一人ひとりに与えられたさらに特別なものになり、言葉と意識と記憶の元になっているのだと思います。
人間においての「死」は魂が肉体から抜け出て「霊」となり、天の元に戻り愛というデータに戻るのですが、その個体の記憶を保持して天の中にそのまま残るのではないかと思います。
人間以外の天の分身の動物の中にも、特に人間に飼われるペットや家畜などは、言葉はなくとも意識のようなものあり記憶されて残るのかもしれません。
この世のすべての出来事を記録し永久保存している場を現在の科学ではゼロ・ポイント・フィールドとか空間の果てにある二次元の表面とかいう仮説があります。
スピリチュアルではアカシックレコードと言われ、ヒンズー教などの古代文明から伝えられていると言われています。
仏教では阿頼耶識と言われています。
多くの人間が同じようなことを語っています。
「魂」は、鬼(おに)へんと云(うん)で構成されており、中国では鬼はもともと霊的なものであり、云はへんではなく「言う」や「雲」を表しているそうで、語源としては霊的なものが動いたり漂ったりしていることだそうです。
「霊魂」とも言いますが、生きている間が「魂」で死んでからが「霊」と呼び方が変わるという理解です。
日本では「たましい」を「たま」と「しい」に分けて、「たま」は「玉」や「霊(たま)」で神聖なもの、「しい」は「もの」や「存在」を意味するそうです。
似たような漢字に「塊(かたまり)」がありますが、この漢字の左側は土へんと言い、「つち」そのもののことで地面のように固まったことを意味するそうで、「鬼」(霊的なもの)が固まったという意味になり、まさに天が創造した物質のことではないかと思ってしまいました。
霊的なものとは天のことであり、その一部が固まったものが物質とその塊であり、特別な意図である「愛」が注入された生物では「命」、人間では「魂」とも言えると思います。
人間には天と同じ言葉と意識が与えられたので、外界を見たり、音を聞いたりして、それを言葉を使って意識し記憶もできるようになりました。
そして人間も地球上でどんどん増えていきました。
天は人間たちの意識とその記憶をすべてそのまま認識できますので、自分以外の認識がたくさんあってとても楽しめるようになりました。
天は本当に欲深く(笑)、今度は人間に天自身が最初に得た意図(自由意志と言う)も与えてみて、人間一人ひとりが自由に意図できるようにして、それぞれがどんなことをするのかを見て楽しみたいと思いました。
そして地球上の生物で人間だけは言葉と意識と自由意志を持ったことで、地球上に存在するあらゆる物質とエネルギーを使って様々な物を作ることができるようになりました。
天は自分に代わって人間が勝手にいろいろな新しい物を作ってくれるのでとても楽しくなりました。
天は楽(らく)して(笑)、ただこの宇宙の様々な出来事を認識して楽(たの)しみたいのです。
それを幸せと言いました。
「自由意志」とは、人が自らの意志に基づいて選択や行動を決定できる能力のことだそうです。
他者や外的要因に完全に支配されることなく自分で決められるということです。
哲学や科学では自由意志はなく、すべて因果律に支配されるという「決定論」も支持されていますが、私は自由意志はあるという考えです。
神が自分に似せて人間を創造したという話は旧約聖書の創世記にありますが私もその通りだと思います。
また最初の人間はアダムとイブと言われています。
アダムとイブはエデンの園という楽園に住んでいたのですが、神が食べてはいけないと禁じていた禁断の実を蛇にそそのかされて食べてしまい、神から原罪を与えられて楽園から追放されたとなっています。
神に従わないという「悪い」自由意志も使ってしまったようです。
日本の古事記ではイザナミとイザナギに似たような話がありますね。
世界中に神がこの世と人間を創り、人間に善悪の概念も与えたという似たようなストーリーの神話があるようです。
神(天)から断絶された人間は自分が天の一部であることがわからなくなり、地球上に存在する生物の一種であると自らを意識するようになりました。
天は人間が天自身の一部として似せて創られたということを知らない方が、天には想定外なことをするかもしれず、ワクワクすると思ったからかもしれません(笑)。
でも私は天が人間を創った時の最初の設定が少しあまかったのか、あるいは人間に実は天の一部であるというデータをヒントとして残してくれたのかもしれないと思っています。
そのため人間の中にも自分たちが天の一部であることに気づく者が現れました。
私たち自身が神であるということはスピリチュアルではよく語られています。
人間は言葉と意識でこの世に存在しないものを想像したり妄想したりすることもできます。
また旧約聖書の「創世記」に書かれたように人間はバベルの塔を作って神(天)に近づこうとしたので、言葉の種類をたくさん作って人間がお互いに簡単に意思疎通ができないようにしたという話もあります。
一部の人間が気づいてしまい、あまりにも早く人間に天(自分)の一部で元は同じものだと多くの人間が知ることになってはネタバレになってつまらないと思ったからかもしれません(笑)。
そして天は人間と言う生物種にも自然環境が少し異なる場所毎に人種と言う違いを与え、それぞれに異なる言語も与えました。
さらに天の分身として創造されたということを人間には分からなくするために認識能力に制限を加えました。
ようやくこれで天は自分の中にある宇宙全体を眺めると同時に、地球上の人間一人ひとりが勝手に引き起こす出来事を安心して(笑)思う存分楽しめるようになったのです。
天は本当に幸せになりました。
以上が私が妄想したこの世の始まりです。
物理学者のブランドン・カーターが気がついて提唱した「人間原理」という概念がありますが、天が人間を通してこの世を楽しもうと人間を創造したからだと思います。
物理学や宇宙論での「人間原理」という考えには、弱い人間原理と強い人間原理の二つのタイプがありますが、宇宙の物理定数が特定の値なのは生命が存在できるためだとか、知的生命の認識が無ければ宇宙は存在し得ないとかのようですが、私はどちらも天が人間を通して自分の創造物を認識しようと創造したから当然のことだと思います。
天の創造したデータには「数」も含まれており、人間も宇宙の法則を数と式で表すことができます。
また天は自分が創造したものをすべて認識できるのですが、宇宙空間に創造した物質やエネルギーのすべてとなると膨大なデータになりちょっと煩わしい(笑)し、そもそも飽きてしまったので、普段はわざと認識能力に制限を加えた人間が認識できるバラエティに富んだ楽しい出来事だけにして楽(らく)して楽(たの)しみたい(笑)と考えたのではないかと思います。
先述の通り、人間には宇宙に存在するものの僅か5%程度しか認識できていないらしいので、残り95%は天にとってはもう飽きてしまいあまり面白いものではないのかもしれません(笑)。
宇宙の始まり、生命の起源、意識のメカニズムという科学の三大未解明問題すべてを説明するものになりました。
あくまでも私が妄想したことですし、科学で解明できることではないと思っていますので、一つの仮説としてあり得るかもと思って頂ければ幸いです。
私にとってはこれですべてが繋がり納得できて、腑に落ちたのです。
この世の始まりという根本的なことを妄想して確信することで、この世の仕組みも、人生とは何かも、幸せになるにはどうしたらよいかも、わかってくるのではないかと思います。
自分が信じられるものであれば他人と異なっていても構いませんが、とにかく一度は真剣にこの世の始まりと言う根本的なことを考えてみる必要があると思います。

