この世の仕組み#6(宿命と運命)

宿命と運命

有性生殖生物には雄と雌という異なる性があり、その生殖活動によって新たな個体が生まれ、自動的に天の愛が注入されなければなりません。

人間では男性と女性が生殖活動によって、男性の精子が女性の卵子に受精して細胞分裂が起こり、新しい細胞が生まれ、自動的に新しい魂が誕生します。

そのことを命(魂)が宿ったというこで「宿命」と言います。

この世では、いつ(時間)、どこで(空間)、どの両親(人間=じんかんと読みます)のもとで誕生するかという三間(さんかん)が宿命によって決まります。

これは各個人が生まれて死ぬまでの人生の初期設定であり自ら変えることはできません。

どの時代に、どの国のどの場所で、どの両親の元に生まれるかによって、その後の人生に多大な影響を与えます。

誕生したばかりの赤ちゃんの意識にはこの世のことはまだ何も入っていません。

前世の記憶がある子供がいるという話を聞きますが、これも天の初期設定が少しあまかったので未だこの世でのデータ量が少ない内は天の情報場のどこか一部と繋がってしまい、そのデータを意識できる子供がいるのではないかと思います。

また霊媒師やチャネラーのような特殊な能力があればこの世で天の情報場と繋がり、そこにあるデータを認識できることもあり得るとは思います。

スピリチュアルでは魂があらかじめ天の中で宿命(三間)を選んでいるという話や、また輪廻転生という一つの魂が生まれ変わるという話もありますが、そうかもしれませんが、それは天の中でのことなのでわかりません。

妄想するしかありません。

この世でわからないことは人それぞれの妄想で良いと思いますし、この世では一度きりの人生としか意識できませんので、宿命は変えられないものとして受け入れるしかないと思います。

私の言う「三間」による初期設定の宿命で各個人の運命がスタートします。

運命とは命(魂)を運ぶこと、すなわち個人の人生そのものです。

スタート時点では三間によって与えられた環境の外界データを五感で感知せざるを得ません。

その認識を無意識のうちにどんどん記憶し蓄積させデータベース化していきます。

最初はどうしても両親から受けるデータ量が大きいですし、行動範囲内の外界データがいわゆる潜在意識に記憶されます。

両親もその両親もそのまた両親も同じですので、その家系の伝統みたいなものが混ざり合って継承されていきます。

その継承により遺伝子データに少しずつ変更が加えられ、各個人の身体の特徴や性格がある程度定められます。

他者や外界から入力され続けてきたデータベースと経験した出来事のパターンの蓄積から潜在意識にいわゆるプログラムが作られていきます。

そして新しい外界データはプログラムによってデータベースと自動的に照合処理され(反応し)無意識のうちに次の行動を促します。

顕在意識はそれを後追いで認識しますが、次の瞬間には新しい外界データの感知によりまたプログラムの照合処理によって次の行動と意識が生まれると言うことが繰り返されていきます。

その無意識による行動を私は自動操縦(オートパイロット)と言います。

宿命によって個々人に作られていくデータベースとプログラムから無意識のうちに次の行動をし、それを自分の意志だと後追いで錯覚しているだけでは、運命は決定されているようなものになってしまいます。

潜在意識にあるプログラムは、細胞生物学者のリプトンによれば7歳までにほぼできあがり、その後は95%以上がそのプログラムによるオートパイロットだと語っています。

両親は子供にこの世のことをいろいろと教えてくれますが、赤ちゃんは本能のままに行動しますので、この世の危険を避けるためにどうしてもたくさんのダメ出しをします。

7歳までではダメ出しされる方が多いので、潜在意識にはネガティブなデータの割合が大きいのではないかと思います。

人間は宇宙全体の95%は未だ解明されていないと言い、潜在意識も意識全体の95%と言い、そして行動の95%はプログラムによる無意識的なものであるといい、人間が顕在意識で判断して、自由意志を使うことができるのはたった5%しかないということになります。

人生は小説や映画のドラマようだとか、ゲームのようだとか言われることがあります。

本当は反対で様々な人生があり得るので、人間が想像して様々なドラマやゲームを作っているのです。

ドラマやゲームには人間の作者がいますし、登場人物やストーリーやエンディングは決まっていて作者以外が変えることはできません。

様々な分野で「決定論」と言われる概念が議論されていますが、宇宙の法則、因果律、宿命と運命で人間の人生のストーリーとエンディングも実は既に決まっていると語るものもあります。

しかし決定論が絶対に正しいということは科学的に証明できないと思います。

天が人間に自由意志を与えたということを科学的に証明できないことも同じです。

もしかするとこの世の作者である天の意図によりこの世のエンディングも決まっているのかもしれませんが、それもわかりません。

作者がドラマやゲームを作れるのはその主人公の人生を自由意志で想像できるからであり、その人生ならこのエンディングになると考えられるからです。

であるならば、私は自分で自分の人生のエンディングを想像するこもできるので、決定論のようにエンディングまでが決まっているとは思えません。

宿命は決まっていますが、天に与えられた自由意志を使えれば各個人の運命は変えられると思います。

その方が天も各個人がどのような人生を歩むかも、そのエンディングもわからずワクワクて楽しめるからだと思います。

ただ天は人間に「幸せ」「不幸せ」という対極の概念も与えました。

そして天の分身である私たち誰もが「幸せ」になりたいと思えますが、必ずしも誰もが幸せになれるかどうかは天にもわかりません。

天だってすべての人間が簡単に幸せになったらドラマやゲームとして面白くないからです(笑)。

だからあえてこの世には対極を創ったのです。

それは人間が自由意志を使って不幸せを幸せに変えることができるようにしたので後は人間任せです。

ドラマやゲームでも必ず不幸せな出来事があるからこそ、それを乗り越えた時に幸せなエンディングを迎えられるのです。

だから天は各個人の自由意志までもコントロールしようとはしません。

コントロールしないからこそ自由意志であり、何が起こるかわからず面白いからです。

「幸せ」になるためには必ず「不幸せ」も経験しなければならないのです。

この世ではなにごとにも対極があるからこそ両方を理解できるのです。

片方だけではその概念を理解できません。

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