神との対話 #2(神とのコミュニケーション)

わたしはすべての者に、つねに語りかけている。問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするのか、ではないか?
第一に「語る」ではなく、「コミュニケートする」と言うことにしよう。神とのコミュニケーションは、言葉よりもすぐれた、言葉よりもずっと豊かで正確なものだからだ。言葉で語りあおうとすると、とたんに言葉のもつ制約にしばられることになる。だからこそ、わたしは言葉以外でもコミュニケートする。それどころか、言葉はめったに使わない、いちばん多いのは、感情を通じたコミュニケーションだ。感情は魂の言葉だ。
わたしはコミュニケーションの手段に思考も使う。思考と感情は同じではないが、同時に生まれることがある。思考を通じたコミュニケーションには、イメージや画像が使われる。だから、単なる言葉よりも思考のほうが、コミュニケーションの道具としては効果的だ。感情と思考のほかにもうひとつ、経験という、偉大なコミュニケーション手段がある。感情と思考と経験のすべてが失敗したとき、最後に言葉が使われる。

この本の神(以下、神)は私たちとのコミュニケーションに感情、思考、経験を使っていると語りますが、この本では言葉を使って著者のウォルシュ氏とコミュニケートしています。ウォルシュ氏とのコミュニケーションがこれまで失敗だったから最後の手段として言葉を使ったということになります。つまりウォルシュ氏は、これまで自分の感情、思考、経験が神とのコミュニケーション手段とは思えなかったということです。私もそうですが、多くの人も同じではないでしょうか?宗教やスピリチュアルを心底信じている人の中には神とコミュニケーションできると思っている人がいるかもしれませんが、科学を宗教のように信じている私たちには、神とコミュニケーションできるとは思えませんし、感情や思考はあくまでも自分自身だけのものであり、経験は環境(自分以外のもの)からもたらされる原因不明のものであると考えているのではないでしょうか?そんな私たちにとっては、最初から言葉でコミュニケートしてくれる方が理解し易いです。この本で神が言葉で語ってくれたので、神が私たちの感情、思考、経験を通してコミュニケートしているということが初めて理解できます。

この本で神が言葉で語ることが真の真理なのかもしれませんが、今のところ私はすべてを信じているわけではありません。神が語る通り言葉で語られたこの本の内容を真に理解するのは難しいと思いますし、神の真意を理解できていないかもしれません。確かに言葉だけでのコミュニケーションは難しいものです。コミュニケーションは以心伝心的な言葉以外の手段の力が大きいと思います。ただ神は私たちに感情と思考と経験(出来事・現実)でコミュニケートしているとのことですので、もし本当にそうだとすれば、自分の感情と思考(意識)が、どうしてそう思い、そう感じているのか、そして経験という現実が、どうしてそうなったのかに、神の意図があると想像することはできます。「引き寄せの法則」でも感情が内なる声(神)とのナビゲーターであると語っています。

最新の科学仮説では、この世のすべての情報がゼロ・ポイント・フィールド(量子真空場)や空間の果ての二次元表面(私はアカシックという)に波動情報としてあり、自分の潜在意識や他者の潜在意識(集合的無意識)の情報もそこにあり、私たちの顕在意識(私は思考と感情を認知する機能を意識といいます)と常に繋がっているとのことです。神がつねにコミュニケートしていることになりますね。私は神やアカシックがあるところを「天」といいます。

脳科学や心理学では私たちの意識の95%は潜在意識であり、経験つまり環境からの入力(五感からの情報)に対して瞬時に反応し、顕在意識で意図するよりも先に脳に行動の指示を出しており、顕在意識は後からそれがあたかも自分の意図だと錯覚しているという受動意識仮説や心理学的決定論があります。ただアカシックには自己の潜在意識だけではなく他者の潜在意識もあり、私はその中の何と反応するかはわからないので、それを天の采配と言います。天の采配とは天の意図ということではなく、アカシックに記録されているすべての情報うちどの情報と反応するかは私たちにはわからないことという意味で使っています。

また、神はこれまでに神が語ったとされる言葉(一神教の教え?)には人間が神の名を借りて語ったものがあるとも言い、真の神のメッセージには必ず喜び、真実、愛があると語ります。私たちは真の神のメッセージである経験よりも神が語ったとされる言葉の方を信じているとも語っています。要するに宗教の教えを信じているが、宗教の教えには人間が作った真の神の言葉ではないものがあり、それを信じているということです。私は一信教の教えに詳しくありませんが、戒律みたいなものには喜び、真実、愛はないということなのかもしれません。でも私は神のメッセージすべてに喜び、真実、愛があるのかはまだわかってはいません。

そして、神は私たちに自由な意思と選択する力を与えたと語ります。私も自由意志は天から与えられていると考えています。心理学の決定論のように潜在意識からの自動操縦(私はオートパイロットという)だけ(決定論でもキャンセルだけはできるようですが)であり、私たちに自由意志がないということではないと思います。自由意志があれば、オートパイロットを変えることができます。自由意志については諸説あるようですが、キリスト教では神と人間だけに自由意志があるとされているようです。

神とコミュニケーションができるかどうかについては、自らよく考えて自分なりに信じられることを持っているかどうかで人生は大きく変わると思います。私は神と言葉で直接コミュニケーションできる人もいるとは思いますが、今のところ自分にできるとは思えません。しかし神が語る通り、自分の感情、思考、経験に神の影響があるということは自分なりに理解できたつもりです。詳しくは「この世の真理」の8本のブログに書きましたが、意識(思考と感情)と環境(経験)には因果関係(引き寄せの法則)があります。

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