旧約聖書には神が最初に創造された人間はアダムとイブで、エデンの園に住んでいたのですが、悪魔の蛇にそそのかされたイブがアダムと禁断の木の実を食べてしまい、神と隔てられたとあるそうです。神と人、天国と地獄、男と女、善と悪という対極の概念が生まれました。一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の元は一つで同じであり、創造主が神とのこと。一方、多神教では八百万の神々がおられますが、自然そのものや神話で偶像化された生物や人間に似たものであり、私は自然や偶像化された神や仏を創造したものがなければならないと考えており、結局は一神教と同じくこの世を創造した一つの創造主があり、それを私は天と呼んでいます。そして、私は天がこの世を創造した時にあの世との間に結界を作られたと考えています。
スピリチュアル本では天は唯一無二(絶対)で自分がすべてなので他がなく、自分の中に自分以外のものを創造して、それを見るという経験をしたいと考えたと語るものがあります。三位一体(トリニティ)が生まれました。私は神道でも使われている「天地人」がしっくりくるので、すべてを見るもの(天)、見られる世界(地=この世)、地の中にあるもの(人=物質存在)と考えています。絶対(一つ)の中に相対(二つ)があり、全部で三つとなりました。
私たちが存在しているこの四次元時空間のこの世では、すべてが相対です。相対とは物事が他の物事との関係の中で成り立つこととされています。必ず対極があります。例えば、「ある」と「ない」、「これ」と「あれ」、「ここ」と「そこ」、「過去」と「未来」、「表」と「裏」、「陰」と「陽」、「プラス」と「マイナス」、「ポジティブ」と「ネガティブ」、あげたらきりがありません。どちらか一つでは成り立たないということです。一方、あの世は絶対です。天は一つですべてですので、対極がありません。でも自らが創造した相対を含んで(包んで)います。相対を包含してその中にも遍くあるもの、それが天の絶対エネルギーであり、「魂/霊」、「愛」、「間/中」、「今」とも言えると思います。魂は人間という物質形態の中に入った天の絶対エネルギーの一部であり、人は物質である「肉体」と精神である「意識」と「魂」の三位一体だと思います。魂は人の死とともにあの世に戻り霊となります。個々人の体の中にあった魂はその個人の経験をアカシックに記録し、変化し成長してあの世に戻るのだと思います。それが天が望んだこの世での経験だと思います。
私は自分にとってプラスになるもの全般をポジティブといい、マイナスになるもの全般をネガティブといいます。私たちがこれまでに蓄積してきた自己バイアスにネガティブなものがなければ、ポジティブなものを知ることもできないようになっているのだと思います。