私が気づいた「真理」(この世のはじまり)

宇宙の始まり、生命の起源、意識のメカニズムなどは未だ科学で解明されていません。

すべての大元(おおもと)が分からなければ、宇宙の始まり(物質の大元は何か?)も、生命の起源(命の大元は何か?)も、意識のメカニズム(意識の大元は何か?)もわかりません。

私が気づいたその大元のことを「」と呼ぶことにしました。

ここでのとは、神、創造主、サムシンググレート、ワンネスなどと言われている様々な表現とほぼ同じことですが、私たち人間が認識できるものすべての大元のことを指します。

日本語の「天」には文脈によって様々な意味があり、英訳する時にも様々な英単語になりますが、私はここではこの世の始まりの前からあったなにかのことを「天」としています。

これはあくまでも私が想像した仮説ですし、科学で解明できることではないと思っていますので、一つの考えとしてあり得るかもと思って頂ければ幸いです。

ただこの世の始まりがどうだったのかという根本的なことを想像して腹落ちしていないと、この世の仕組みがどうなっているのかも、願望を実現する方法も心底納得できないと確信していますので、是非みなさんも探究してみてください。

自分が信じられるものであれば他人と異なっていても構いませんが、とにかく一度は真剣に考えてみる必要があると思います。

ではこの世の始まりから語りたいと思います。

ただ一つのなにもない、なにかがありました。

ただなにかが一つだけありました。

そのなにかのことを私はここで「天」と言うことにします。

ある時、天は唯一無二で己(おのれ)しかなく他が何もないので、何も起こらず、ただ一様な全体としてあるだけではつまらなくなりました。

その思いがゆらぎとなり、天の意図が生まれました。

天自身が己(自己)の中に認識できる何か新しいものを創ろうと思いました。

そう思ったら、あっと言う間に何もなかった天自身の中に「これ」と「あれ」のように異なると認識できるものができました。

天は「自ら」を「分けて」、自分になりました。

天自身もそれら自分の中の創造物が何なのかはよくわかなかったので、それらを表現し、意識でき、そして記憶できるようにと言葉を創り、その創造物に与えました。

形(見えるもの)と音(聞こえるもの)と言葉(文字と数字を含む)を総称して「データ」と言うことにしました。

「言う」とは言葉を与えることとします。

そして天は気づきました。

天は自分の中に意識できるもの、つまりデータをなんでも自由に創れると。

そして様々なデータを創りました。

天は自ら創造したデータを形のあるものとして見ることもできますし、また音として聞くことも、言葉としてそれらを表現することもできますし、記憶することもできます。

天は様々なデータをたくさん創れて楽しいなと思えるようになりました。

データは情報とも言えますが、情報というと日本語では「インフォメーション」という意味合いが強く現在では様々な意味を持つので、私は天が自身の中に創造したものを総称して「データ」と言います。

なぜか人間も自分の周り(外界)を見て、聞いて、言葉で表し意識できます。

そして人間が作ったコンピューターでは電気信号処理の結果として、見えるものは画像や動画のデータになりますし、聞こえるものは音声データになりますし、言葉は画像や動画と音声の両方のデータになります。

どうしてそんなことができるようになったのでしょうか?

最初それら様々なデータはただ天の中のあちらこちらにあり意識できましたが、動きがなくてただそこにあるだけでした。

それでは飽きてしまいそれらを動かすことにしました。

でもその動きは天が始めに与えた動きをなぜか規則的に続けるだけでした。

天は自分の中のそれらが動き回る部分()を表現するために宇宙と言いました。

そして天は宇宙の中に最初に創った見えるもののいくつかを素粒子と名付け、それらを集めて創ったものを原子と名付け、原子を集めて創ったものを分子と名付け、分子を集めて創った様々なものを物質と名付けました。

物質を集めて創った大きな塊(かたまり)はと名付けました。

名付けるとは天が創造した見えるもの(物質)に言葉を与えることとします。

天は自分が創造したものは素粒子であろうとなんでも見ることができます。

それら物質にはそれぞれ質量と言う大きさが異なる固有のデータも与えました。

宇宙の中での動きはそれら物質の質量によって異なりました。

それら物質の元となるデータと、それらを動かすの元となるデータを総称してエネルギーと言いました。

宇宙とその中に存在する物質たちがそれぞれに規則的に動いていることを法則と言うことにしました。

天はどれだけ様々な物質を創って動かしても、その動きはその法則に従うだけでしたので、また飽きてしまい、もっと面白いものを創ろうと意図しました。

それで勝手に動いて勝手に増える生物と名付けたものをある星の上に創りました。

ただし生物を創るには物質を創る時とは異なるエネルギーと特別な意図が必要でした。

それを天は「」と言いました。

「愛」をまだ単なる物質である生物に注入したものを「命」と言いました。

命を与えられた生物は勝手に動くようになりましたし、勝手に分裂して新しい個体を作って繁殖するようにもなりましたし、また天がいちいち意図して個々に愛を注入しなくてもなぜか自動的に新しい個体に命が移されるようになってなったので面倒くさくもなくて面白かったのです。

ただその命はなぜか生物の一つの個体毎に永遠にとどめることができませんでした。

それを寿命と言いました。

生物の個体から抜け出た命は天の特別なデータに戻り、その個体はただの物質に戻ります。

それをと言いました。

生物には個体としての誕生という始まりと寿命という終わりがあり、また自由にあっちこっちに動けるので、時間空間と言われる概念が与えられました。

ただ最初に創った生物の数々は分裂して同じような個体が増えるだけでした。

それではまた飽きてしまい、試しに異なる生物をくっつけてみました。

そうしたらまた新しい異なる生物が意図ぜずに生まれました。

でもまた分裂して同じような個体が増えるだけでした。

それで今度は試しにある生物にオスとメスという異なる機能を与えてみたら、そのオスとメスが勝手に合体して同じ生物でも少し形の異なる個体が生まれるようになり、それらをと言うことにしました。

そしてその子のオスとメスが合体してまた少し異なる形の個体を生むようになったので、今度はその子のことをと言うことにしました。

そして親は子を次々と増やしていきました。

天は面白くてたまらずに、植物や昆虫や動物などと言われるたくさんの種類の生物を創りました。

そして天は物質と生物が共存して循環できるような環境を生態系と言うことにして、地球と言う星に生態系を創りました。

地球上の生態系を自然と言うことにもしました。

地球上には様々な生物種が存在するようになり、そして生と死を繰り返しながらもどんどん増えていきました。

天はそれらを眺めてしばらくの間は楽しむことができましたが、多少の変化などはあるものの大きな変化はなく、またすぐに飽きてしまい、地球にわざと(笑)刺激を与えたりして変化を促したりしていました。

確かに生物は自然の変化によって絶滅したり進化と言うことにした自主的な変化をするようにはなりましたが、天はなんか想定内にとどまっていると感じ、もっと刺激が欲しくなりました(笑)。

天は本当に欲深く(笑)、天と同じ言葉や意識を与え、その個体の認識を自身で表現できるより高度な生物を創って、天がもっといろいろな楽しみを自動的に勝手に得られるようと自分に似せて人間と言う生物を生態系のある地球に創ってしまいました。

天は「愛→命」は人間に注入されると「」と言う人間だけに与えられた特別なものにしました。

魂は言葉と意識との元になりました。

さらに天は人間に天自身が最初に得た意図(自由意志と言う)も与えて、各個人が自由に意図できるようにして、それぞれがどんなことを意図するのか天自身にもわからずワクワクすると思ったからでした。

そして人間だけは天と同じ言葉と意識と自由意志を持ったことで、地球上に存在するあらゆる物質とエネルギーを使って様々な物を作ることができるようになりました。

天は人間が勝手に様々な物を作ってくれるのでとても楽しくなりました。

ただ人間が言葉と意識と自由意志を持ったことで、様々な物を作ることができるようになったともに、天の存在を想像するようにもなってしまいました。

そして一部の人間には自分たちも天の一部ではないかと気づく者も現れてしまいました。

天は人間を創造した時にあまりにも自分に似せすぎてしまい、設定が少し甘かったと反省して、人間が天の一部であることに気づかれないようにと宇宙に結界を張って、人間には宇宙の外側と天の正体をわからなくしてしました。

さらに人間の認識能力にもわざと制限を加えたので、人間は地球上の生物の一種なのだとしか思えなくなりました。

それは人間に実は天の一部であるということに気づかれてしまってはネタバレになってしまいつなまらないと思ったからです。

ようやくこれで天は自分の中にある宇宙と人間を眺めながら安心してまったりと存分に楽しめるようになったのです。

以上が私が想像した宇宙と人間の始まりについてです。

すべての大元の「天」は本当に欲深く(笑)、自分の中に創造した宇宙を眺めて楽して(笑)楽しむために、自分に似せて人間を創造しました。

人間が外界(宇宙)を認識する仕組みは天が内界(宇宙)と認識する仕組みとほぼ同じなので、天は人間を通して自動的に宇宙の出来事を認識できるのです。

人間は天と同じ言葉と意識と自由意志を与えらたので、地球上に存在するものすべてを使って、天の代わりに様々なものを作れるようになりました。

また意識によって想像や妄想を働かせることもでき、天のことやこの世の始まりや人間とは何かなどの真の真理についても考えられるようにもなりました。

これら現在の科学では解明されていないことについては、一つの正解はなく様々な考えがあります。

私の仮説もその一つですし、真の真理(天そのもの)については天の設定で科学では解明できないようになっているのだと考えています。

自分で考えたことではない他者の考えの何を正解だと思い信じるかは人それぞれなのですが、私は真理とは自分で考えて気づき信じるべきものだと思っています。

天に与えられた自由意志があると心底信じられれば、現実での選択と行動を外界や他者の影響を受けず、自らの意図で自らが本当に望むものを選択し行動できます。

そうすれば望む結果が必ず得られるのがこの世の仕組みではないかと思います。

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